IgA腎症の診療指針

IgA腎症の診療指針 第3版ダイジェスト版・・・抜粋
厚生労働省難治性疾患克服研究事業進行性腎障害に関する調査研究班 IgA腎症分科会

I 第3版における改訂の要約
腎病理所見と腎予後(透析導入)との関連をロジスティック回帰分析にて解析した。

(1) 細胞性または線維細胞性半月体、全節性および分節性糸球体硬化、線維性半月体が透析導入と関連した。
(2) この5つの病変を有する糸球体の割合により、組織学的重症度をH-Grade I(25%)、II(25%以上50%未満)、III(50%以上75%未満)、IV(75%以上)の4段階に分類した。
(3) 臨床的重症度として、蛋白尿が0.5g/day未満のC-Grade I、尿蛋白0.5g/day以上かつeGFR60ml/min/1.73m2以上のC-Grade II、尿蛋白0.5g/day以上かつeGFR60ml/min/1.73m2未満の3群に分類した。
(4) 予後分類として、組織学的重症度と臨床的重症度を加味することにより、透析導入に対し、低リスク群、中等リスク群、高リスク群、超高リスク群の4群に層別化した。
(5) 透析導入リスク群ごとの治療指針を提案した。

II IgA腎症の診断基準
IgA腎症の診断基準は、1995年度に厚生省特定疾患進行性腎障害調査研究班と日本腎臓学会の合同委員会より提唱され、2002年にその一部が修正された。今回は、2002年の「IgA腎症診療指針―第2版」で用いられていた診断基準を一部修正し、表1に記載する。

表1 IgA腎症の診断基準
1. 臨床症状
大部分の症例は無症候であるが、ときに急性腎炎様の症状を呈することがある。ネフローゼ症候群の発現は比較的稀である。一般に経過は緩慢であるが、20年の経過で約40%の患者が末期腎不全に移行する。
2. 尿検査所見
尿異常の診断には3回以上の検尿を必要とし、そのうち2回以上は一般の尿定性所見に加えて尿沈渣の分析も行う。
A. 必発所見:持続的顕微鏡的血尿
B. 頻発所見:間欠的または持続的蛋白尿
C. 偶発所見:肉眼的血尿
3. 血液検査成績
A. 必発所見:なし
B. 頻発所見:成人の場合、血清IgA値315mg/dl以上(標準血清を用いた多施設共同研究による)
4. 確定診断
腎生検による糸球体の観察が唯一の方法である。
A. 光顕所見:巣状分節性からびまん性全節性(球状)までのメサンギウム増殖性変化が主体であるが、半月体、分節性硬化、全節性硬化など多彩な病変がみられる。
B. 蛍光抗体法または酵素抗体法所見:びまん性にメサンギウム領域を主体とするIgAの顆粒状沈着
C. 電顕所見:メサンギウム基質内、特にパラメザンギウム領域を中心とする高電子密度物質の沈着
[付記事項]
注1) 尿沈着で、赤血球5-6/HPF以上
注2) 急性上気道炎あるいは急性消化管感染症後に併発することが多い。
注3) 全症例の半数以上に認められる。従来の基準のなかには成人の場合、半数以上の患者で血清IgAは350mg/dl以上を呈するとされていたが、その時点ではIgAの標準化はなされていなかった。
注4) 他の免疫グロブリンと比較して、IgAが優位である。

III IgA腎症の腎予後判定基準(透析導入リスクの層別化)
エビデンスに基づくIgA腎症予後分類の作成を目的に行われた「IgA腎症の腎病理所見と予後の関連に関する後ろ向き多施設共同研究」で集積されたデータをもとに、腎病理所見および腎生検時臨床所見と腎予後(透析導入)との関連をロジスティック回帰分析にて解析した。その結果、細胞性/線維細胞性半月体、全節性および分節性糸球体硬化、線維性半月体、腎生検時の尿蛋白、血清クレアチニン、eGFRが透析導入と関連する因子であることが明らかにされた。以下に、これらの予後関連因子を用いて作成した組織学的重症度分類、臨床的重症度分類および両者を加味した透析導入リスクの層別化を提示する。

1. 組織学的重症度分類(Histological Grade: H-Grade)
H-Gradeは腎生検光顕標本の組織所見をもとに行う。なお、標本中の糸球体数は10個以上であることが望ましい。
1) 糸球体所見
糸球体病変では、細胞性半月体(係蹄壊死を含む)および繊維細胞性半月体を急性病変(acute lesion:A)とし、全節性硬化、分節性硬化および繊維性半月体を慢性病変(chronic lesion:C)として評価する。この5つの病変のいずれかをもつ糸球体が観察した全糸球体数に占める割合(%)により、H-Gradeを以下の4段階に分類する。
@ H-Grade I: 25%未満
A H-Grade II:25%以上かつ50%未満
B H-Grade III:50%以上かつ75%未満
C H-Grade IV:75%以上
さらに、急性病変(A)のみをもつ症例、急性病変(A)と慢性病変(C)をもつ症例、慢性病変(C)のみをもつ症例に対して、それぞれA,A/C,Cと付記することとする(表2).
*急性病変(A):細胞性半月体(係蹄壊死を含む)、線維細胞性半月体
慢性病変(C):全節性硬化、分節性硬化、線維性半月体

組織学的重症度:
H-Grade I:腎予後と関連する病変*を有する糸球体/総糸球体数 0-24.9%
H-Grade II: 同上 25-49.9%
H-Grade III:同上 50-74.9%
H-Grade IV:同上 75%以上

注1) これら5つの病変は、2009年に報告された「IgA腎症オックスフォード分類」で採用された以下の定義に基づいて評価するものとする。
細胞性半月体:3層以上の管外性細胞増殖があり、その成分として細胞が50%を超える病変(A)。
係蹄壊死:フィブリンの滲出や核崩壊を伴った糸球体基底膜の断裂(壊死の基準を満たすには、少なくともこれら3つのうち2つの病変の存在が必要)(B)
線維細胞性半月体:細胞が50%未満で細胞外基質が90%未満の組み合わせからなる線維細胞増殖(C)
全節性硬化:すべての糸球体毛細血管係蹄が硬化した病変。
分節性硬化:糸球体毛細管係蹄の硬化がみられるが、すべての係蹄に及ばないもの(E)。
線維性半月体:90%以上の細胞外基質からなるボウマン嚢円周の10%を超える菅外性線維性病変(F)。
注2)従来の予後判定基準で採用されていたボウマン嚢との癒着は、以下のオックスフォード分類の定義に従って厳密に評価したところ、予後関連因子としては選択されなかった。
癒着:糸球体毛細管係蹄とボウマン嚢の間の連続した領域を指し、管外性病変や分節性硬化病変とは区別される(G)。
2) 尿細管・間質所見
後ろ向き研究では、間質線維化は全節性糸球体硬化と極めて高い相関を示したことから、組織学的重症度の判定にあたっては、標本中の糸球体数が10個未満の場合は、間質線維化の程度を参考にして重症度を判定することも可能である。
2. 臨床的重症度分類(Clinical Grade: C-Grade)
腎生検時の尿蛋白量と腎機能(eGFR)により、C-Gradeを以下の3段階に分類する(表3)
@ C-Grade I:尿蛋白量0.5g/日未満
A C-Grade II:尿蛋白量0.5g/日以上かつeGFR 60ml/min/1.73m2以上
B C-Grade III:尿蛋白量0.5g/日以上かつeGFR 60ml/min/1.73m2未満
3. 透析導入リスクの層別化
後ろ向き研究においては、C-Grade IかつH-Grade Iの群における透析導入例は72例中1例(1.4%)のみであったことから、これを低リスク群とし、その他の群の透析導入リスクを低リスク群に対するオッズ比で表わすと、オッズ比が15未満の群(中等リスク群)、15以上50未満の群(高リスク群)、50以上の群(超高リスク群)の4群におおよそ層別することが可能である。以下にIgA腎症患者の透析導入リスクの層別化として提示する。
C-Grade I+H-Grade I:低リスク
C-Grade I+H-Grade II:中等リスク
C-Grade I+H-Grade III+IV:高リスク
C-Grade II+H-Grade I:中等リスク
C-Grade II+H-Grade II: 中等リスク
C-Grade II+H-Grade III+IV:高リスク
C-Grade III+H-Grade I:高リスク
C-Grade III+H-Grade II:高リスク
C-Grade III+H-Grade III+IV:超高リスク
[分類]
IgA腎症患者を腎生検施行の時点でH-GradeとC-Gradeをもとに以下の4群に分ける。ただし、経過中に他の群に移行することがある。
@ 低リスク群:透析療法に至るリスクが少ないもの注1)。
A 中等リスク群:透析療法に至るリスクが中等度あるもの注2)。
B 高リスク群:透析療法に至るリスクが高いもの注3)。
C 超高リスク群:5年以内に透析療法に至るリスクが高いもの注4)。
[付記事項]
後ろ向き多施設共同研究からみた参考データ
注1) 72例中1例(1.4%)のみが生検後18.6年で透析に移行
注2) 115例中13例(11.3%)が生検後3.7~19.3(平均11.5)年で透析に移行。
注3) 49例中12例(24.5%)が生検後2.8〜19.6(平均8.9)年で透析に移行。
注4) 34例中22例(64.7%)が生検後0.7〜13.1(平均5)年で、また14例(41.2%)が5年以内に透析に移行。
今回提示した透析導入リスクの層別化表を理解するうえで注意していただきたいことは、この分類はあくまで種々の治療を受けた結果としての腎予後を反映しているという点である。したがって、ここでいう低リスク群は、積極的な治療を行わなくても予後が良いという意味の低リスク群ではない。また同様に、高リスク群および超高リスク群では治療が不十分であったために予後不良となった可能性は低いと考えられる。
IV IgA腎症の治療指針
透析導入リスクの層別化に基づいて分類された4つの各リスク群に対して、生活指導、食事療法、薬物療法を表5に提示した。明確なエビデンスが得られていない記述も含まれるが、可能な限り他の診療ガイドラインとの整合性を図りながら作成している。表6にはエビデンスに基づいたIgA腎症に対する薬物療法を列挙した。今後は、治療に関するさらなるエビデンスの集積とその解析によって、この治療指針を修正していく必要があると思われる。
表5 :IgA腎症の治療指針
本症患者を「IgA腎症の透析導入に対するリスク層別化」に基づき、@低リスク群、A中等リスク群、B高リスク群、C超高リスク群のいずれかに分類する。それぞれの群における治療指針を以下に記す。
生活習慣および食事指導については、CKD診療ガイドおよびCKD診療ガイドラインを参考に各CKDステージに従い指導する。さらに、本症における薬物療法については、エビデンス(表6)を参照とする。なお、経過中に他のリスク群に移行することがあることを念頭に定期的観察が必要である。
[すべてのリスク群に共通する治療指針]
A. 生活習慣の是正:禁煙、適正な飲酒量の指導、体重の管理を行う。注1)
B. 診察・検査項目:定期的な血圧測定および腎機能の評価(血清クレアチニン、eGFRなど)を含む血液生化学的検査。尿定性試験・沈渣、尿中蛋白・クレアチニン定量(蛋白/クレアチニン比)、可能であれば蓄尿検査による1日尿蛋白排泄量やクレアチニンクリアランスの測定を行う。
C. エネルギー摂取量:エネルギー摂取量は、年齢、性別、運動量を加味しながら25-35kcal/kg標準体重/日を目安とする。なお、摂取エネルギーの決定後は、体重変化を観察しながら適正エネルギー量となっているかを経時的に評価しつつ調整を加える。
[リスク群別の治療指針]
1. 低リスク群
A. 生活指導:特に運動制限を行う必要はないが、生活習慣の是正を指導する。診察は少なくとも3-6か月に1回とする。
B. 食事療法:過剰の塩分摂取を避け、腎機能低下例では過剰なたんぱく質摂取えを避ける(0.8-1.0g/kg標準体重/日)。
C. 薬物療法:尿蛋白量、高血圧の有無や腎組織所見を参考に、抗血小板薬、降圧薬を用いる注2。副腎皮質ステロイド療法(パルス療法を含む)は糸球体に急性活動性病変を有する場合に考慮する注3。

2. 中等リスク群
A. 生活指導:個々の高血圧、尿蛋白、腎機能などを慎重にみながら運動量を調節する。診察は少なくとも1-3か月に1回とする。
B. 食事療法:腎機能、尿蛋白、血圧に応じた、たんぱく質摂取(0.8-1.0g/kg標準体重/日)や食塩の制限(基本は6g/日未満)を行う。
C. 薬物療法:尿蛋白量、高血圧の有無や腎組織所見を参考に、抗血小板薬、降圧薬や副腎皮質ステロイド療法(パルス療法を含む)の適応を積極的に考慮する(表6)。
3. 高リスク群
A. 生活指導:個々の血圧、尿蛋白、腎機能などを慎重にみながら運動量を調節する。診察は原則的に1か月に1回とする。妊娠・出産には注意が必要である。
B. 食事療法:腎機能、尿蛋白量、血圧に応じてたんぱく質制限(0.6g-0.8g/kg標準体重/日)や食塩の制限(基本は6g/日未満)を行う。必要に応じてカリウム制限を行う。
C. 薬物療法:腎機能、尿蛋白量、高血圧の有無や腎組織所見を参考に、抗血小板薬、降圧薬や副腎皮質ステロイド療法(パルス療法を含む)を考慮する(表6)。
4. 超高リスク群
A. 生活指導:高リスク群に準じた生活指導を行う。妊娠・出産には厳重な注意が必要である。
B. 食事療法:食塩(6g/日未満)、たんぱく質制限(0.6-0.8g/kg標準体重/日)および適切なカリウム制限を行う。
C. 薬物療法:高リスク群に準じるが、病態によっては慢性腎不全の治療を行う。ただし、慢性病変が糸球体病変の主体をなす場合には、副腎ステロイド療法の適応については慎重に考慮すべきである(表6)。
注1) 体重の管理は、標準体重に近づけるように指導する。
注2) 降圧には、アンジオテンシン変換酵素阻害薬、アンジオテンシンII受容体拮抗薬を第一選択とし、降圧目標が達成できないときには第二選択薬として利尿薬またはカルシウム拮抗薬の併用療法を考慮する。使用に際しては、腎臓専門医の意見を参考にすることが望ましい。現在、わが国で、治療法の一つとして扁桃摘出術(病巣感染除去法)と副腎皮質ステロイドパルス療法の併用の有効性について、調査・研究が行われている。

表6 IgA腎症の薬物療法
エビデンスに基づいたIgA腎症の薬物療法を提示する
(1) 経口副腎皮質ステロイド薬:尿蛋白0.5g/日以上かつeGFR60ml/min/1.73m2以上の症例が良い適応となる。組織学的に急性病変を含む症例を対象とする。プレドニゾロン30-40mg/日を初期投与量とする2年間の持続漸減療法では、尿蛋白減少と腎機能障害進展抑制が認められた注1。一方、20mg/日を初期投与量とするRCTの成績では尿蛋白低下効果は認められるものの、腎機能障害進展抑制に対する有効性は認められなかった。腎機能低下例(eGFR60ml/min/1.73m2未満)における腎機能障害進展抑制効果は明らかにされていない。
(2) ステロイドパルス療法:血清クレアチニン1.5mg/dl以下および尿蛋白1.0-3.5g/日を呈する症例において、メチルプレドニゾロン1gの3日間投与を1クールとして、隔月で計3回施行する点滴静注療法が尿蛋白を減少させ、腎機能の長期予後を改善させるというエビデンスがある注2。一方、血清クレアチニン1.5mg/dl以上を呈する症例での有効性に関しては明確なエビデンスがない。
(3) 扁桃摘出術(扁摘)+ステロイドパルス療法:臨床的寛解が期待できる治療法として、わが国から報告されている。扁摘後のステロイドパルス療法は1か月以内に3クール施行する方法と、隔月で3クール施行する投与法の2つに大別される注3。ステロイドパルス単独療法に比して高率に臨床的寛解に導入できるかどうかに関して、現在扁摘+ステロイドパルス療法に関する多施設共同ランダム化比較試験が行われている。一方、血清クレアチニン1.5-2.0mg/dlの症例に対しても有効であるとする報告もあるが、症例対照研究のため十分なエビデンスとはいえない。
(4) 降圧薬:高血圧または正常高値血圧を呈する症例を対象とし、130/80mmHg未満(ただし、尿蛋白が1g/日以上の場合は125/75mmHg未満)を降圧目標とする。アンジオテンシン変換酵素阻害薬やアンジオテンシンII受容体拮抗薬の併用が第一選択薬となる。腎機能低下例においても、血清クレアチニンやカリウム値に注意しながら少量から投与し、漸増する。降圧や抗蛋白尿効果が不十分であれば、他降圧薬を併用する。またアンジオテンシン変換酵素阻害薬とアンジオテンシンII受容体拮抗薬の併用が、それぞれの単独投与よりも強い抗蛋白尿効果を示すとの報告もある。正常血圧の症例においても、両薬物は抗蛋白尿効果を発揮するが、わが国では保険適応はない。
(5) 免疫抑制薬:第2版では「通常使用しない」と記されていたが、血清クレアチニン1.5mg/dl以上、中等度から高度の組織障害を有する進行性IgA腎症に対して、シクロフォスファミドやアザチオプリンが副腎皮質ステロイド薬との併用において腎機能保持に有効であるとする成績がある。
(6) 抗血小板薬:ジピリダモールや塩酸ジラゼプは蛋白減少効果を有するが、腎機能進展抑制に関する有効性は明らかではない。
(7) 抗凝固薬:腎生検で半月体形成、糸球体硬化、糸球体係蹄のボウマン嚢との癒着などが目立つ場合はワルファリンを用いるが、入院患者ではヘパリンを用いることもある。
注1) ステロイドの初期投与量や患者背景によっては、日和見感染や消化管出血などの重大な副作用の合併予防の立場から、長期入院を必要とする場合がある。
注2) 進行性腎障害に関する調査研究班が2008年におこなった「IgA腎症に関する全国アンケート調査」では、わが国ではメチルプレドニゾロン0.5gを3日間連続で投与する施設が多かった。
注3) 同アンケート調査では、プロトコール明記のあった111施設のうち、53施設が7日間間隔で3クールを、21施設が60日間間隔で3クールを施行していた。





哲学思想についての考察6

共同体主義:
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
共同体主義(英:communitarianism)は、20世紀後半のアメリカを中心に発展してきた共同体(コミュニティー)の価値を重んじる政治思想。コミュニタリアニズムとの表記も一般的である。なお、これに立脚している論者をコミュニタリアン(communitarian)という。
概要:共同体主義は、現代の政治思想の見取り図において、ジョン・ロールズらが提唱する自由主義(リベラリズム)に対抗する思想の一つであるが、自由主義を根本から否定するものではない。共同体の価値を重んじるとは言っても、個人を共同体に隷属させ共同体のために個人の自由や権利を犠牲にしても全く構わない、というような全体主義・国家主義の主張ではなく、具体的な理想政体のレベルでは自由民主主義の枠をはみ出るラディカルなものを奨励することはない。むしろ、共同体主義が自由主義に否定的であるのは、より根源的な存在論レベルにおいてであり、政策レベルでは自由民主制に留まりつつも自由主義とは異なる側面(つまり共同体)の重要性を尊重するものを提唱する。イギリスの社会学者ジェラード・デランティの整理によれば、共同体主義には、自由主義的共同体主義(リベラル・コミュニタリアニズム)、ラディカル多元主義、公民的共和主義、統治的共同体主義(ガヴァンメンタル・コミュニタリアニズム)の四潮流があるという。
共同体主義者に分類される主要な論者:チャールズ・テイラー、*マイケル・サンデル、マイケル・ウォルツァー、アラスデア・マッキンタイア、アミタイ・エツィオーニ。
これからの「正義の話をしよう」いまを生き伸びるための哲学;What`s the Right Thing to Do? Michael J Sandel より引用・・・一部改変・・・

正義と共通善;われわれは正義に対する三つの考え方を探ってきた。第一の考え方では、正義は功利性や福利を最大にすることを意味する。第二の考え方では、正義は選択の自由を意味する。第三の考え方では、正義には美徳を涵養することと共通善について判断することが含まれる。もうおわかりだと思うが、私が支持する見解は第三の考え方に属している。その理由を説明したい。・・・自由に基づく理論は尊重に値する権利を選び出すことはせず、人々の嗜好をあるがままに受け入れる。われわれが社会生活に持ち込む嗜好や欲求について、疑問や異議を差し挟むよう求めることはない。自由に基づくそうした理論によれば、われわれの追求する目的の道徳的価値も、われわれが送る生活の意味や意義も、われわれが共有する共通の生の質や特性も、すべては正義の領域を越えたところにあるのだ。私には、これは間違っていると思える。公正な社会は、ただ効用を最大化したり選択の自由を保証したりするだけでは、達成できない。公正な社会を達成するためには、善良な生活の意味をわれわれとともに考え、避けられない不一致を受け入れられる公共の文化をつくりださなければなくてはいけない。所得、権力、機会などの分配の仕方を、それ一つですべて正当化できるような原理あるいは手続きを、つい探したくなるものだ。そのような原理を発見できれば、善良な生活をめぐる議論で必ず生じる混乱や争いを避けられるだろう。だが、そうした議論を避けるのは不可能だ。正義にはどうしても判断がかかわってくる。議論の対象が金融救済策やパープルハート勲章であれ、代理母や同性婚であれ、アファーマティブ・アクションや兵役であれ、CEOの報酬やゴルフカートの使用権であれ、正義の問題は、名誉や美徳、誇りや承認について対立する様々な概念と密接に関係している。正義は、ものごとを分配する正しい方法にかかわるだけではない。ものごとを評価する正しい方法にもかかわるのだ。
共通善に基づく政治;公正な社会が善良な生活についてともに判断することで成り立つとすれば、われわれをこの方向に向かわせるのはどんな種類の政治的言説か、という問いが残る。私自身はこの問いにまだ満足のいく答えがだせないままだが、具体的なヒントをいくつか示すことはできる。まず、見解を一つ述べよう。こんにち、われわれの政治的議論の大半は福利と自由を中心に回っている。つまり、経済的生産性の向上と人権の尊重が中心になっている。多くの人にとって、政治において美徳を語ることは、宗教的保守派が生き方を説く姿を思い起こさせる。だが、それが美徳の概念や共通善を政治に取り入れるための唯一の方法ではない。道徳的・精神的問いを真摯に受け止めるいっぽうで、セックスや妊娠中絶だけでなく、経済や市民にかかわる幅広い関心事にもそうした問いを投げかけるような政治を構想することが課題となる。
私が生きてきたこの時代にこの方向で最も有望な発現をしたのは1968年に民主党の大統領候補を目指していたロバート・E・ケネディーだ。彼にとって、正義は国民生産の規模と分配以上のものを含んでいた。より高い道徳的目標にも関連していたのだ。1968年3月18日にカンザス大学で行った演説で、ケネディーは、ヴェトナムでの戦争、アメリカ国内の都市の暴動、人種の不平等、ミシシッピ州とアパラチア地方で目にした著しい貧困について語った。それから、そうした明白な正義の問題から転じて、アメリカ人が間違ったものごとに価値を置くようになったと語った。「物質的欠乏をなくすため行動するにしても、より大きな課題がある。それは満足の欠乏との闘いだ・・・われわれはみな、そのために苦しんでいる。」アメリカ人は「単なる物質の蓄積」に夢中になっている、と彼は言った。・・・

アメリカのGNP(国民総生産)はいまや年間8000億ドルを超えている。だが、そのGNPの内訳には、大気汚染、タバコの広告、高速道路から多数の遺体を撤去するための救急車も含まれる。玄関のドアにつける特製の錠と、それを破る人たちの入る監獄も含まれる。セコイアの伐採、節操なく広がる都市によって失われる自然の驚異も含まれる。ナパーム弾、核弾頭、都市の暴動で警察が出動させる装甲車も含まれる。それに・・・子供たちにオモチャを売るために暴力を美化するテレビ番組も含まれる。それなのに、GNPには子供の健康、教育の質、遊びの喜びの向上は関係しない。詩の美しさ、結婚の強さ、市民の論争の知性、公務員の品位は含まれない。われわれの機知も勇気も、知恵も学識も、思いやりも国への献身も、評価されない。要するに、GNPが評価するのは、生き甲斐のある人生をつくるもの以外のすべてだ。そしてGNPはアメリカのすべてをわれわれに教えるが、アメリカ人であることを誇りに思う理由だけは、教えてくれない。

ケネディーの言葉に耳を傾ければ、というか、このくだりを読めば、当時の自己満足と物質への執着に彼が向けた道徳的批判は、貧困、ヴェトナム戦争、人種差別といった不正についての彼の主張とは別のものだと言いたくなるかもしれない。だが、ケネディーはそれらをたがいに関連するものと見ていた。そうした不正を正すために、ケネディーは自分の周囲に見られる独りよがりな生き方に苦言を呈する必要があると考えた。彼はあえて私見を入れた。それでいて、アメリカ人の国に対する誇りを呼び起こすことで同時にコミュニティー意識にも訴えた。・・・
40年後の2008年の大統領選挙期間中、バラク・オバマもまた、より大きな目的を持つ公共生活への人々の渇望に応えて、道徳や精神性を希求する政治をはっきりと打ち出した。金融危機や深刻な不況と闘う必要があるため、道徳や市民をめぐって選挙運動期間中に表明された彼の真意が、共通善に基づく新たな政治へとうまく転換されるかどうかは予断を許さない。共通善に基づく新たな政治とはどんなものだろうか?以下に、考えられるテーマをいくつか挙げてみよう。
市民、犠牲、奉仕:公正な社会には強いコミュニティー意識が求められるとすれば、全体への配慮、共通善への献身を市民のうちに育てる方法を見つけなくてはならない。公共の生における市民の姿勢と性向、いわゆる「心の習慣」に無頓着ではいけない。善良な生活という純粋に私的概念を支えとして市民道徳を育てる方法を見つけなければならない。伝統的に、公立学校は公民教育の場だった。世代によっては、軍隊もそうした場所だった。ここで私が言っているのは、市民道徳を直裁に教えることではなく、知らず知らずのうちに行われることの多い実践的な公民教育のことだ。そういう教育は、青少年が異なった経済的階級、宗教的背景、民族コミュニティーから同じ教育機関に集まったときに生まれる。多くの公立学校が荒れた状態にあり、アメリカ社会のごく一部の人しか兵役につかない時代に、これほど広く多様な民主的社会がどうすれば公正な社会に必要な連帯と相互責任の意識を育てられるかは、深刻な問題だ。この問題は最近、われわれの政治的言説に、少なくともある程度は再登場してきている。2008年の大統領選挙期間中、バラク・オバマは、2001年9月11日のテロによって、アメリカ人の胸に、愛国心と誇りと国に奉仕したいという新たな意欲がかきたてられたと述べた。そして、ジョージ・W・ブッシュ大統領がアメリカ人になんらかの形での犠牲の共有を求めなかったことを批判した。「奉仕を求められる代わりに、われわれは買い物にいくように言われた。犠牲の共有は求められず、その代わり、アメリカ史上まさにはじめて、戦時に、最も裕福なアメリカ人を対象に減税が実施された」オバマは、ナショナル・サービス[訳注:青年が一定期間ボランティア活動などで国家に奉仕する制度]を促進するため、学生に100時間の社会奉仕と引き換えに大学の授業料を補助することを提案した。「あなたがアメリカに投資すれば、アメリカもあなたに投資する」と、選挙運動で全国を回りながら、若者たちに呼びかけた。これは彼の提案のなかで最も支持を得たものの一つとなり、2009年4月、オバマ大統領は、社会奉仕プログラム「アメリコー」を拡大して、コミュニティでボランティア活動をした学生に大学の学費を支給する法案に署名した。オバマのナショナル・サービス推進案が反響を呼んでいるにもかかわらず、より大胆に強制的ナショナル・サービスを進めようとする提案はいまだに政治課題としてとりあげられてはいない。
市場の道徳的限界:現代の最も驚くべき傾向に数えられるのが、市場の拡大と、以前は市場以外の基準に従っていた生活領域における市場指向の論法の拡大だ。これまでの章で扱ってきた道徳的問題は、たとえば、以下のような場合に生じるものだった。国家が兵役や捕虜の尋問を傭兵や民間業者に委託する場合。親が妊娠と出産を、発展途上国で報酬と引き換えに分娩する人に外注する場合。公開市場で腎臓を売買する場合。それ以外にも、例をあげればきりがない。学業が振るわない学校の生徒が標準テストで高得点をあげた場合、現金が支払われるべきだろうか?教師は生徒のテストの成績が上がったことでボーナスを支給されるべきだろうか?州は、営利団体である民間経営の刑務所に服役者の収容を委託すべきだろうか?アメリカ合衆国は、アメリカの市民権を10万ドルの取得量で売ればいいというシカゴ大学のエコノミストの提案を採用し、移民政策を簡素化すべきだろうか?そうした問題で問われるのは、効用や合意だけではない。重要な社会的慣行・・・兵役、出産、教育と学習、犯罪者への懲罰、新しい国民の受け入れなど・・・の正しい評価法も問われる。社会的慣行を市場に持ち込むと、その慣行を定義する基準の崩壊や低下を招きかねない。そのため、市場以外の基準のうち、どれを市場の侵入から守るべきかを問わなくてはいけない。それには、善の価値を判断する正しい方法について、対立するさまざまな考え方を公に論じることが必要だ。市場は生産的活動を調整する有用な道具である。だが、社会制度を律する基準が市場によって変えられるのを望まないならば、われわれは市場の道徳的価値について公に論じる必要がある。
不平等・連帯・市民道徳:アメリカ国内ではこの数十年で貧富の差が大きくなり、1930年代以来最大と言える水準にまで広がった。それにもかかわらず、不平等は政治的問題としては影が薄いままだ。税率を1990年代のレベルに戻そうというバラク・オバマの控えめな提案ですら、2008年の大統領選で共和党候補を刺激し、オバマは富みの拡散をもくろむ社会主義者と呼ばれた。こんにちの政治における不平等への注意不足は、この問題に対する政治哲学者たちの注意の欠如を反映しているわけではない。所得と富の公正な分配は、1970年代からこんにちに至るまで、政治哲学論争の大きな柱だった。だが、効用や合意という言葉の枠に問題を押し込もうとする傾向のせいで、哲学者たちは不平等へのある反対論を見落としてしまっている。この反対論こそ、政界がもっとも耳を傾けるはずの主張であり、道徳的・公民的刷新の企ての中核をなすと思われる主張なのだ。貧困層を助けるために富裕層に税を課すべきだとする哲学者たちは、効用の名の下に持論を展開する。富者から100ドルを徴収して貧者に与えても、富者の幸福はごくわずかしか減らないが、貧者の幸福は大きく増すと、彼らは推測する。ジョン・ロールズも再分配を擁護するが、彼が根拠とするのは仮説的合意だ。平等な原初状態での仮説的社会契約を想像すれば、誰もが何らかの形の再分配を支持する原理に同意するはずだと、彼は主張する。だが、アメリカ人の生活に広まる不平等を懸念する理由には、より重要なものがもう一つある。貧富の差があまりにも大きいと民主的な市民生活が必要とする連帯が損なわれるという理由だ。それがどういうことか、説明しよう。不平等が深刻化するにつれて、富者と貧者の生活はいよいよかけ離れていく。冨者はわが子を私立学校(あるいは富裕層の住む郊外の公立学校)に入れ、残された都心の公立学校には、ほかに選択肢のない家庭の子供が通う。同様の傾向によって、恵まれた人々は公立の教育機関や施設から離れていく。民間のスポーツクラブが自治体のレクリエーション施設とプールにとって代わる。高級住宅地のコミュニティは民間の警備員を雇い、公共の警察による庇護にあまり頼らなくなる。二台目や三台目の自家用車によって、公共交通に依存する必要性がなくなる。という具合だ。富裕層は公共の場所やサービスを離れ、それらはほかのものには手が出ない人々に残される。その結果、二つの悪影響が出る。一つは財政的、もう一つは公民的な悪影響だ。まず公共サービスの質が低下する。そうしたサービスを利用しなくなった人びとが、自分たちの税金で支える気をなくすからだ。次に、学校、公園、児童公園、コミュニティセンタといった公共の施設が、多種多様な職業の市民が出会う場でなくなる。人びとが集い、市民道徳を学校の外で学ぶ場だった施設が数を減らし、まばらになる。公共の領域の空洞化により、民主的な市民生おりどころである連帯とコミュニティ意識を育てるのが難しくなる。したがって、功利や合意に及ぼす影響とはまったく別に、不平等は市民道徳をむしばむおそれがある。市場を愛してやまない保守派と、再分配に執心するリベラル派は、この損失を見過ごしている。公共の領域の衰退が問題だとすれば、解決策は何だろう?共通善に基づく政治が主要な目標とするものの一つは、公民的生活基盤の再構築だ。個人消費の可能性を広げるための再分配に焦点を当てるのではなく、公共の施設とサービスを再建するために富裕層に課税する。そうすれば、冨者も貧者も同じようにそうした施設やサービスを利用したがるはずだ。前の世代が州間自動車道計画に多額の投資をしたおかげで、アメリカ人はかってないほど大きな個人の移動性と自由を手にしたが、そのいっぽうで、自家用車への依存、郊外スプロール化(訳注;都市が無秩序に広がること)、環境の悪化、コミュニティを衰退させる生活様式という問題も生まれた。われわれの世代は、同じくらい大きな投資を公民的刷新の基盤づくりに捧げてもいいはずだ。冨者も貧者も同じように子供を通わせたくなる公立学校、富裕層の通勤者にとっても魅力的な信頼性ある交通手段、公立の病院、運動場、公園、レクレーション・センター、図書館、博物館や美術館。あくまで理想だが、塀で囲まれた高級住宅コミュニティの住民を、民主的市民生活を共有する共通の場に引き寄せることができるような基盤である。不平等の公民的悪影響とそれを払拭する方法に的を絞れば、所得の分配そのものをめぐる議論からは発見できない政治的牽引力が見つかるかもしれない。また、分配の正義と共通善の関連性に光を当てる一助となるかもしれない。
道徳に関与する政治:善良な生活の問題に公共部門が関与するのは公民的逸脱であり、リベラルな公共的理性の範囲を超える行為だと見るひともいる。政治と法律は道徳的・宗教的論争に巻き込まれるべきではないとわれわれは考えがちだ。そうした論争に巻き込まれれば、強制と不寛容への道を開くことになるからだ。そうした懸念が生じるのも無理はない。多元的社会の市民は、道徳と宗教に関して意見が一致しないものだ。これまで論じてきたように、行政府がそうした不一致について中立性を保つのは不可能だとしても、それでもなお、相互的尊重に基づいた政治を行うことは可能だろうか?可能だと私は思う。だが、そのためには、これまでわれわれが慣れてきた生き方とくらべ、もっと活発で積極的な市民生活が必要だ。この数十年でわれわれは、同胞の道徳的・宗教的信念を尊重するということは、(少なくとも政治的目的に関係する場合)それらを無視し、それらを邪魔せずに、それらに・・・可能な限り・・・かかわらずに公共の生を営むことだと思い込むようになった。だが、そうした回避の姿勢からは、偽りの敬意が生まれかねない。偽りの敬意は、現実には道徳的不一致の回避ではなく抑制を意味することが少なくない。そこから反発と反感が生じかねないし、公共の言説の貧困化を招くおそれもある。言説の貧困化とは、一つのニュースから次のニュースへと渡り歩きながら、スキャンダラスでセンセーショナルで仔細な事柄にもっぱら気を取られるようになることだ。道徳的不一致に対する公的な関与が活発になれば、相互的尊敬の基盤は弱まるどころか、強まるはずだ。われわれは、同胞が公共生活に持ち込む道徳的・宗教的信念を避けるのではなく、もっと直接的にそれらに注意をむけるべきだ・・・時には反論し、論争し、ときには耳を傾け、そこから学びながら。困難な道徳的問題についての公の討論が、いかなる状況でも同意に至るという保証はないし、他者の道徳的・宗教的見解を認めるに至る保証さえない。道徳的・宗教的教条を学べば学ぶほどそれが嫌いになるという可能性は、つねにある。しかし、やってみないことにはわからない。道徳に関与する政治は、回避する政治よりも希望に満ちた理想であるだけではない。公正な社会の実現をより確実にする基盤でもあるのだ。

顕微鏡的血管炎について・・・ハリソン内科学より引用

17th Edition
Harrison’ Principles of Internal Medicineより抜粋・・・
17版 ハリソン内科学

Microscopic polyangiitis
顕微鏡的血管炎

Definition
定義

The term microscopic polyarteritis was introduced into the literature by Davson in 1948 in recognition of the presence of glomerulonephritis in patients with PAN. In 1992, the Chapell Hill Consensus Conference on the Nomenclature of Systemic Vasculitis adopted the term microscopic polyangiitis to connote a necrotizing vasculitis with few or no immune complexses affecting small vessels (capillaries, venules, or arterioles). Glomerulonephritis is very common in microscopic polyangiits, and pulmonary capillaritis ofen occurs. The absence of granulomatous inflammation in microscopic polyangiitis is said to differentiate it from Wegener’s granulomatosis.

顕微鏡的多発血管炎という用語はPAN患者に糸球体腎炎を認めたDavsonによって1948年に文献上紹介された。1992年、全身性血管炎の用語に関するChapel Hill 会議で、小さな血管(毛細血管、小静脈、細動脈)を侵すほとんど免疫反応を伴わない壊死性血管炎を示唆する疾患に対して顕微鏡的多発血管炎という用語が採用された。糸球体腎炎は顕微鏡的多発血管炎に極めてよく見られ、また肺毛細血管炎はしばしば生じる。顕微鏡的多発血管炎には肉芽腫性炎症が見られないことはウエジナー肉芽腫症との鑑別点である。

Diagnosis
診断

The diagnosis is based on histologic evidence of vasculitis or pauci-immune glomerulonephritis in a patient with compatible clinical features of multisystem disease. Although microscopic polyangiitis is strongly ANCA-associated, no study have as yet established the sensitivity and specificity of ANCA in this disease.

その診断は組織学的な血管炎または免疫反応に乏しい糸球体腎炎に基づく。顕微鏡的多発血管炎は強くANCAに関連しているが、いまだ血管炎におけるANCAの感度と特異度について明らかにした研究はない。

Joslin Medical Center (ハーバード大学病院)よりの話題:カーボカウントについて

カーボカウント(炭水化物計算)について

There are several different ways people with diabetes can manage their food intake to keep their blood glucose (sugar) as close to normal as possible, and one such method is 'carbohydrate counting'. Carbohydrate counting is a method of calculating grams of carbohydrate consumed at meals and snacks. We count carbohydrates because they have the greatest effect on glucose. Before starting any new treatment or meal plan, you should always consult with your diabetes care professional.

糖尿病患者が血糖値を可能な限り正常にするいくつかの異なった方法がある。その一つが“炭水化物計算:carbohydrate counting“である。炭水化物計算は食事やおやつで消費される炭水化物のグラム数を計算する方法である。我々は炭水化物を計算する、なぜならその血糖に及ぼす影響が極めて大きいからである。どのような新しい治療や食事計画を始める前に、糖尿病治療の専門家に相談すべきである。

What are the benefits of counting carbs?
炭水化物を計算する効果は?

Counting carbohydrates is a good solution for many people with diabetes. Once you learn how to convert grams into their equivalent amount of carbohydrates, it is easier to incorporate a wider array of foods into your meal plan, including combination foods such as those in frozen dinners. For example, by consulting the Nutrition Facts on a frozen dinner, you can easily calculate the number of carbohydrates in the meal, rather than trying to calculate how that particular food fits into the more traditional exchange meal plan.

炭水化物計算は多くの糖尿病患者にとってよい解決法である。一度炭水化物のグラム数の計算を学ぶと、食事計画において広範な食品に応用することが容易になる、冷凍食品のような複合的食品を含む。例えば、冷凍食品会社に聞けば、食品中の炭水化物量を簡単に計算できる、伝統的な交換食品に置き換えて計算しようとこころみるよりも。

Another benefit of counting carbohydrates is that it can bring tighter control over your glucose readings. Being as precise as possible with your carb intake and medication will likely allow you to regulate blood glucose after a meal.

炭水化物計算の別の利点は、血糖のコントロールがより厳密にできることである。あなたが炭水化物摂取量に精通すればそれだけ食後の血糖治療は容易になる。

Lastly, counting carbohydrates may also allow you to adjust the amounts of carbohydrates you eat at each meal, rather than feeling like you have to eat a certain amount of carbohydrates, even if you do not want to.

最後に、ある一定の炭水化物を摂取しなければという感覚よりも、炭水化物計算は食事毎の炭水化物摂取量を適切にすることを可能する、たとえそれを望んでいないとしても。

Who can use 'carbohydrate counting'?
だれが炭水化物計算を使えるのですか?

Carbohydrate counting can be used by anyone with diabetes, not just people taking insulin.

炭水化物計算は糖尿病の人ならだれでも、インスリン治療中の人でなくても、使用できる。

This method is also useful for people who are using more aggressive methods of adjusting insulin to control diabetes. The amount of meal and snack carbohydrate is adjusted based on the pre-meal blood sugar reading. Depending on the reading, more or less carbohydrate may be eaten. Likewise, insulin may be adjusted based on what the person wants to eat. For example, if you want to eat a much larger meal than usual, carb counting can help you determine how much extra insulin to take. Depending on the situation, you must then adjust the amount of carbohydrates you eat at each subsequent meal to be certain it fits into your overall carbohydrate allowance, however, it does afford some flexibility with regard to how carbs are distributed throughout the day.

この方法はまた糖尿病をコントロールするためにインスリン注入量を厳密にする方法を用いている人々にも有用である。食事や間食の炭水化物量は食前血糖値に用いて調節される。血糖値によって、炭水化物は多かれ少なかれ摂取される。同様に、インスリンは人が食べる量に基づいて調節される。例えば、いつもよりたくさん食事を摂取する時、炭水化物計算は追加インスリン必要量を決定する助けになる。状況に応じて、あなたは食事毎に摂取する炭水化物量を調節しなければならない、一日全体の炭水化物許容量に適合させて。しかし、一日も中での炭水化物の分配に関しては柔軟性が必要となる。

The following is an explanation of how to use carbohydrate meal planning. Print these pages and discuss them with your nurse educator, dietitian or physician at your next visit.

以下は、炭水化物を用いる食事計画の説明である。これらを印刷して、診察時に医師や看護師、栄養士と相談してください。

Tools of the Trade
計算の道具

In order to count carbohydrates, you must begin by having a meal plan and also knowing the average carbohydrate values of various food groups. If you don't have some form of a meal plan developed by your health care team, you will be unable to figure out how many grams of carbohydrate you are supposed to eat at each meal and snack.

炭水化物計算をするためには、あなたは食事計画を立て、様々な食物グループの平均的炭水化物量を知ることから始めなければならない。もしあなたが食事計画を持っていないのであれば、食事や間食時に摂取すると思われる炭水化物量のグラム数を決定することはできない。

Good resources for exchange systems are Joslin's Menu Planning - Simple!, Joslin's Guide to Diabetes (which also contains a chapter discussing meal planning, including carbohydrate counting) or the American Diabetes Association's Exchange Lists for Meal Planning.

炭水化物計算の資料としてはJoslinのMenu Planning, JoslinのGuide to Diabetesや米国糖尿病協会の食品交換表がよい。

It is also helpful to have a carbohydrate counting reference book. Measuring equipment, such as a food scale, measuring cups and spoons, is essential. Probably the most frequently used tool will be food labels.

炭水化物計算の参考書も助けになる。食品スケール、計量カップ、計量スプーンは基本的なものである。おそらく、最も頻繁に使用されるものは食品ラベルであろう。

Step 1: Know your meal plan
ステップ1:食事計画を知る

Indicate on the chart below the number of servings from each food group planned as part of your meal plan. The last row will be completed in Step 2.
あなたの食事計画の各食品グループを摂取数チャートに示しなさい。

Food Groups Breakfast Snack Lunch Snack Dinner Snack
Starch
Fruit
Vegetable
Milk
Protein
Fat
Carbohydrates

Step 2: Know your Carbohydrates
ステップ2:あなたの炭水化物を知りなさい

Most of the carbohydrates we eat come from three food groups: starch, fruit and milk. Vegetables also contain some carbohydrates, but foods in the meat and fat groups contain very little carbohydrates. This list shows the average amount of carbohydrates in each food group per serving:

我々が摂取する炭水化物のほとんどは3つの食品グループに由来する;でんぷん、果物、ミルクである。野菜もまた若干の炭水化物を含有するが、肉類や脂肪グループには炭水化物はほとんど含まれない。以下のリストはサービング毎の各食品グループに含まれる平均的炭水化物量を示している。
Carbohydrate Grams Carbohydrate Grams
Starch 15 Vegetable 5
Fruit 15 Meat 0
Milk 12 Fat 0

To make things easy, many people begin carbohydrate counting by rounding the carbohydrate values of milk up to 15. In other words, one serving of starch, fruit or milk all contain 15 grams of carbohydrates or one carbohydrate serving. Three servings of vegetable also contain 15 grams. One or two servings of vegetables do not need to be counted. Each meal and snack will contain a total number of grams of carbohydrates.

簡単にするために、多くの人はミルクの炭水化物量を15gにして始める。換言すれば、でんぷん、果物、ミルクの一つのサービングは15gの炭水化物を含む。野菜の3つのサービングはまた15gの炭水化物を含む。1つや2つのサービングの野菜は数える必要はない。各食事や間食は炭水化物の総量を含む。

Complete the following chart to test your understanding:
以下のチャートを完成させなさい、あなたの理解を試験します。

2 slices bread = ______grams of carbohydrates
2切れのパン=
1 whole banana (9" size) = ______grams of carbohydrates
1本のバナナ=
1 cup oatmeal with 1 cup milk = ______grams of carbohydrates
1杯のオートミルと1杯のミルク=

Look back at your meal plan in Step 1. Total up the number of grams of carbohydrate for each meal and snack and write the totals in the last row. It is more important to know your carbohydrate allowance for each meal and snack than it is to know your total for the day. The amount of carbohydrates eaten at each meal should remain consistent (unless you learn to adjust your insulin for a change in the amount of carbohydrates eaten).

ステップ1の食事計画に戻ってください。食事や間食毎の炭水化物量を合計して最下段に書きなさい。各食事や間食毎のあなたの炭水化物許可量を知ることは、一日の総炭水化物許可量を知るよりも重要である。各食事毎の炭水化物量は一定にすべきである(炭水化物摂取量の変化に合わせてインスリン量を調整することを学ばないならば)

Step 3: Using carbohydrate counting in meal planning
ステップ3:食事計画における炭水化物計算

Here is an example to show how carbohydrate counting can make meal planning easier. Let's say your dinner meal plan contains 5 carbohydrate servings or 75 grams of carbohydrates. (This is based on a meal plan of 3 starch servings, 4 protein, 1 vegetable, 1 fruit, 1 milk and 3 fat.) The label on a frozen dinner of beef enchiladas says it contains 62 grams of carbohydrate. Instead of calculating how many exchanges that converts to, just figure out how many more grams of carbohydrates you need to meet your 75 gram total. Add about 15 more grams of carbohydrates (one serving of fruit or milk, for example) and you have almost matched your total.

炭水化物計算が食事計画をどのように容易にするかを示す例が以下である。あなたの夕食計画は炭水化物の5サービング、または75gの炭水化物を含むと言いましょう(このことは、でんぷん3サービング、蛋白4サービング、野菜1サービング、果物1サービング、ミルク1サービング、脂肪3サービングに基づいている)。牛肉の冷凍エンチラーダのラベルは炭水化物62gを含むと書かれている。まず75gのあなたの必要量に合わせるために、どれだけの炭水化物を追加するかを知りなさい。15gの炭水化物を加えなさい(果物かミルクを1サービング)そして全体量を合わせなさい。

The final word on carbohydrate counting 最後に

Counting carbohydrates allows flexibility in your meal plan, but you can't abandon
your meal plan and eat as many carbohydrates as you desire. Keep in mind your overall goals--to keep your carb intake at a certain amount each day, and keep your glucose as close to normal as possible--and you'll do well. Remember to consult your healthcare team before making any of the changes discussed here.

炭水化物計算はあなたの食事計画を柔軟にするが、あなたは食事計画を放棄はできない、そして食べたいだけ炭水化物を食べることはできない。最終的なあなたのゴールを目標に、すなわち一日の炭水化物を一定にすること、あなたの血糖を可能な限り正常に近づけること、そして健康になること。ここで討論したことを変更する前に、あなたのヘルスケアチームに相談してください。

哲学思想についての考察5

リバタリアニズム;出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』・・・一部改変

リバタリアニズム(libertarianism)は、政治や経済などの分野で、自由主義思想の中でも特に個人主義的な自由を重視する政治思想である。リバタリアニズムは、他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだと考える。日本語においてもそのまま「リバタリアニズム」と表現される場合が多いが、日本語を用いる場合は本来の思想から概念が変遷している「リベラリズム」と区別する意味で、単に「自由主義」と訳されることはあまりなく、真正自由主義、完全自由主義、絶対自由主義、古典的自由主義など、多数の邦訳が存在する。リバタリアニズムを主張する者をリバタリアンと呼ぶ。なお哲学、神学、形而上学においては*決定論に対して、自由意思と決定論が両立しないことを認めつつ(非両立説incompatibilism)、非決定論から自由意思の存在を唱える立場を指す。この意味では自由意志論等の形に訳されることのほうが多い。
概要;リバタリアンはレッセフェールを唱え、経済や社会に対する国家や政府の介入を否定もしくは最小限にすることを主張する。また、自律の倫理を重んじ、献身や軍務の強制は肉体・精神の搾取であり隷従と同等であると唱え、徴兵制と福祉国家には強く反対する。なお暴力、詐欺、侵害などが起こったとき、それを起こした者への強制力の行使には反対しない。個人の自由と自由市場を擁護する等、ごく少数の基本事項以外これがリバタリアンであるというような定義は存在しない。リバタリアンの潮流や主張には幅があり、細部ではリバタリアン同士で意見の相違がある場合も多い。自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン、あるいは市場重視の右派リバタリアンと社会公正重視の左派リバタリアニズムなどに分類される場合がある。アメリカには、選挙年齢に達した者のうちの10-20%が、リバタリアン的観点を持っているとされている。
リバタリアニズムの類型;
自然権的リバタリアンと帰結主義的リバタリアン;自然権的リバタリアン(Right Libertaraiann)と帰結主義的リバタリアン(Consequentialist)との違いは大まかに言えば自由を正当化する根拠の違いである。自然権的リバタリアンはロック的伝統にのっとり、自由を、不可侵な自然権としての自己自身への所有権として理解する。他方で、帰結主義的リバタリアンは、最大多数の最大幸福は、相互の不可侵な自由が確立されている状態で最大化されるのであり、政府などによる意図的な規制・干渉は、自然な相互調整メカニズムを混乱させ、事態を悪化させると考える。自然権的リバタリアンを支持する側は、人と人、または個人と政府の関係においては、全ての行動が自発的で合意に基づくものであることは道徳的に必須であるとする(従って倫理的リバタリアンとの呼ばれる)。彼らは、個人または政府が、個人または個人の財産に強制力を及ぼすときー強制力とは、身体・物資的な強制、それを行うという強迫、または詐欺的行為―、それが相手から初めに仕掛けられたものでないなら、そのような強制力は自発的で合意に基づくとの理念に対する違反行為であると主張する。この考え方は、客観主義(Objectivism)や個人主義的無政府主義と通じるものがある。また、帰結主義的リバタリアンを支持する側にとっては、「誰が初めに行動を起こしたか」ということは道徳的な束縛を持っておらず、たとえ最初の強制が政府からなされたものだとしても、政治的、経済的自由を大規模に推進すれば、それが最も生活に適し、最も効率のいい社会につながるのだと考えている。しかしながら、そのような政府の行動は、帰結主義者が描くような社会の中では限られた対象に関してでしか起こらない。この考え方は、ミルトン・フリードマン、ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼスやハイエクのような者達の考えに結びついている。リバタリアンだとみなされる者には、古典的自由主義者だと、自認、もしくは他の者から言われている者もいる。
右派リバタリアニズムと左派リバタリアニズム
右派リバタリアンと左派リバタリアンの違いは、資本主義、経済的独占、財産権に対する態度の違いである。右派リバタリアニズムの主流的考え方として、政府の存在を求めない無政府資本主義(アナルコ・キャピタリズム/anarcho capitalism)、国防・裁判・治安維持にその機能を限定した上で政府の存在を肯定する最小国家主義(Minarchism)、極最低限の行政サービス程度なら国家の役割として承認する古典的自由主義がある。これに対して左派リバタリアニズムは、19世紀のアナキズム(特にプルードン)の流れを汲み、国家だけでなく資本主義も否定する立場であり、かってはリバタリアン社会主義(自由至上社会主義)やアナキズム(無政府主義)とほぼ同義語であった。しかし、1970年代以降西欧を中心に広まった反原発・反核・反ミサイルなどの新しい社会運動、緑の党などの政治勢力は、現代的な意味での左派リバタリアニズムだとされている(Hanspeter Kriesiらの研究による)。右派リバタリアンは通常、左派リバタリアンは個人の財産権を尊重しないためリバタリアニズムの名に値しないと批判している。これに対して左派リバタリアンは通常、社会の公平、和解、連帯などの重視によって、実際の個人の自由をより徹底できると反論している。
リバタリアニズムの基本理念;リバタリアニズムでは私的財産権(private property rights)もしくは私有財産制を個人の自由を確保する上で必要不可欠な制度原理と考える。私的財産権には、自分の身体は自分が所有していることを自明とする自己所有権原理(principle of self-ownership)を置く。私的財産権が政府や他者により侵害されれば個人の自由に対する制限もしくは破壊に結びつくとし、政府による徴税行為をも基本的に否定する。法的には、ハイエクに見られるように、自由とは本質的に消極的な概念であるとした上で、自由を確保する法思想(法の支配/rule of law)を追求する。経済的には、フリードマンに見られるように、市場におきる諸問題は政府の規制や介入が引き起こしているという考えから、市場への一切の政府介入を否定する自由放任主義(レッセフェール/laissez-faire)を唱える。
リバタリアニズムにおける自由;リバタリアンの唱える自由とは消極的自由を指している。これは、他からの制約や束縛がないことという意味である。リベラリズムにおける、政府のサポートを必要とする積極的自由(国家による自由)と、リバタリアニズムにおける消極的自由(国家からの自由)とは対照的で多くの場合相反する概念である。
生存権、自由権、財産権の根拠;ロバート・ノージックやマリー・ロスバードのようなリバタリアンは生存権、自由権、財産権を自然権、すなわち擁護するに相応しいものとみている。彼らの自然権に対する見方はトマス・ホッブスやジョン・ロックの著作に由来している。アイン・ランド(リバタリアニズムに多大な影響を与えた人物)は、そのレッテルを拒絶していたが、これらの権利が自然法に基づくと考えていた。ロバート・ノージックの「アナーキー・国家・ユートピア」では「自由な社会では、新たに所有するという行為は、個々人の自発的な交換や行動から生じる」といわれる。ミルトン・フリードマンやルードヴィッヒ・フォン・ミーゼス、フリードリッヒ・ハイエクといったリバタリアンは、道徳上の観点と同様に実用主義または帰結主義の観点から、これらの権利を説明した。彼らは、リバタリアニズムが経済効率の追求と社会福祉の増進とが矛盾しないことを主張し、緊急事態のような限定的な状況下での実力の行使を認めた。デイビット・ゴティエやジャン・ナーヴソンのようなリバタリアンは、これらの権利が理性的な人々の間で結ばれた一種の契約であるとする社会契約論者の立場をとった。
他思想との違い;リバタリアンの主張では、リバタリアニズムとは経済的自由と社会的自由(個人的)を共に尊重する思想であり、リバタリアン自身による右のノーラン・チャートによれば、社会主義などの左翼思想は個人的自由は高いが経済的自由は低く、保守主義などの右翼思想は経済的自由は高いが個人的自由は低く、ポピュリズム(ここでは権威主義や全体主義などをさす)では個人的自由も経済的自由も低い、という位置づけとなる。リバタリアンの多くは経済的自由と政治的自由の両方を重視するため、社会主義などによる国営化や計画経済も、ファシズムや軍国主義などによる経済統制や開発独裁も、いずれも経済的自由が低い「集産主義」であるとして批判し、同時にまた、共産主義などの一党独裁も、ファシズムや軍国主義などの言論統制も、いずれも政治的自由が低い「全体主義」であるとして批判する場合が多い。逆に左翼からリバタリアニズムへの批判には伝統的価値や社会の安定を軽視している、などが行われている。更に、同じ自由主義思想から発生したリベラリズムとリバタリアニズムの間にも相違がある。リベラリズムは自由の前提となるものを重視して社会的公正を掲げる。例えばリベラリズムは、貧困者や弱者が経済的にも政治的にも実質的に奴隷状態になってしまい、結果的に自由を喪失することを防ぐために、政府による富の再分配や法的規制などの社会への介入を肯定し、それにより実質的な自由を確保しようとする。しかし、リバタリアニズムは経済的自由を尊重して市場原理主義を主張し、法的規制や富の再分配に伴う徴税が自由と財産権を損なうものとして否定する一方、貧困の原因は自己責任であるとして、「結果の平等」が実現されるべきであるとは考えない。このためリベラリズムはリバタリアニズムを個人的自由・社会的自由を失うものとして批判する。これに対してリベラル側はリバタリアニズムに対して貧富差の拡大により、階層の固定化・社会の不安定化を招き、また、財界・大企業による専制により市民の自由を損なうとして批判する。また、社会的自由も尊重する点で、家族や性道徳などに対する保守的な価値観を重視する新保守主義とも異なる。
アナキズム(無政府主義)は多数の思想潮流を含むが、基本的には国家や政府を廃止または最小化することで自由や平等を最大化する思想のため、リバタリアニズムとは関連性がある。社会主義の側面が強い社会的無政府主義とは対立する場合が多いが、個人主義的で自由放任的な側面が強い個人主義的無政府主義とは共通点が多く、特に自由市場無政府主義はリバタリアニズムの主張と呼ばれることも多い。
リバタリアニズムという語が用いられるようになった理由;個人の自由を尊重する立場としては、元来リベラリズムという用語があるが、この語は社会的公正を志向するがゆえに政府による再分配によって平等を実現しようとする社会主義〜社会民主主義的・福祉国家的な文脈で使われるようになった。そのように変化した概念と区別し古典的な意味での自由主義を表わす言葉として、リバタリアニズムという用語がつかわれるようになった。しかしながら、上記の概要にも説明があるように、リバタリアニズム自体にも、自由主義経済を支持する右派リバタリアニズムと、社会保障を擁護する左派リバタリアニズムがあり、右派、左派、共に現在の政府が過剰に一般市民の生活に介入していることでは考えが一致しているが、その内実は無政府資本主義から、「必要悪」としての政府の最小限の介入を認める最小国家主義まである。
リバタリアニズムの政策;政治面では国家による個人への関与を可能な限り否定する。経済面では、個人の経済的自由を実現するため、市場による代替的な供給が可能なあらゆる財への国家による関与を否定する。具体的には、公共事業・財政政策の廃止、累進課税率廃止、都市計画反対などである。*ミルトン・フリードマンが提唱した*負の所得税が有名である。実際にはイギリス、カナダ、ニュージーランドで一部導入され、拡大されつつある。アメリカ合衆国における勤労税額控除もこの*負の所得税のバリエーションだと評価される。左派リバタリアニズムは、脱原発、反戦、核兵器廃絶、軍備管理、弱者・少数エスニック・消費者の権益保護などをテーマとする。また、ベーシック・インカム(基本所得)の主張も特徴的で、ヨーロッパの左派リバタリアン政党(1980年代のドイツ緑の党に典型的にみられる)がしばしばこれを掲げる。
*ミルトン・フリードマン(英:Milton Friedman、1972年7月31日-2006年11月16日)はアメリカ合衆国ニューヨーク出身のマクロ経済学者である。*マネタリズムを主唱してケインズ経済学を批判し、各国の経済政策に大きな影響を与えた。アメリカの共和党支持者で「レーガノミックス」(新自由主義の提唱者)の生みの親。1976年、ノーベル経済学賞受賞。
人物概要;「巨匠」や「異端児」、「小さな巨人」など数々の通り名を持つ。20世紀後半の主要なリバタリアニズム経済学者の代表的存在。戦後、貨幣数量説である*マネタリズムを蘇らせマネタリストを旗揚げ、反ケインジアンの宗主として「フリードマンの反革」を実行し、1973年以後の経済に多大な影響を与えた。1970年代までは先進国の各国政府は「スタグフレーション」で悩んでいたが、スタグフレーションのうちのインフレーションの要素に対しての姿勢、政策を重視した。チリのピノチェット政権、アメリカのレーガン政権(レーガノミックス)、イギリスのサッチャー政権、日本では中曽根康裕内閣以降の細川護熙内閣までの「強い通貨(円高輸入増)で物価を抑える。」という円高政策の理論的支柱を提供した。
経歴;ハンガリー(現在はウクライナの一部になっている)からのユダヤ系移民の子としてニューヨークで生まれる。奨学金を得て15歳の若さで高校を卒業、ラドガース大学で学士を取得後に数学と経済学どちらに進もうか悩んだ結果、世界恐慌の惨状を目にし、シカゴ大学で経済を専攻し、修士を取得、コロンビア大学でサイモン・クズネッツ(1971年ノーベル経済学賞受賞)の指導を受け博士号を取得。コロンビア大学と連邦政府で働き、後にシカゴ大学教授となる。後に反ケインジアンの筆頭と目されるようになったが、大学卒業後の就職難の最中で得た連邦政府の職はニューディール政策が生み出したものであった(国家資源委員会における大規模な家計調査研究は、クズネッツの助手として全米経済研究所で行った研究と併せて、後の『消費の経済理論』と恒常所得仮説につながった)。後に振り返って、ニューディール政策が直接雇用創出を行ったことは緊急時の対応として評価するものの、物価と賃金を固定したことは適切ではなかったとし、大恐慌の要因を中央銀行による金融引締に求める研究を残している。しかし、第二次世界大戦が終わり連邦政府の職を離れるまでの経済学上の立場は一貫してケインジアンであった。シカゴ学派のリーダーとしてノーベル賞受賞者を含め多くの経済学者を育てた。マネタリストの代表者と見なされ、政府の財政政策に反対する。政府の財政政策によってではなく貨幣供給量と利子率によって景気循環が決定されると考えた。また、1955年には、教育バウチャー(利用券)制度を提唱したことでも知られる。議論好きで討論に長けていたことで知られる。主著は『資本主義と自由』。シカゴ学派で学んだ南アメリカの経済学者は多くが出身国で自由主義市場経済を推進したといわれるが、MITやハーバードで学んだケインジアンも多く含まれていた。フリードマン自身もチリのピノチェト軍事独裁政権の経済政策に関与しておらず、1975年にはチリのサンティアゴでピノチェトと会談した際にも、フリードマンは、ピノチェトに求められて経済的アドバイスを行っただけである。フリードマンは後日、「自分は自由主義者であり、独裁は嫌悪しているが、毛沢東と会えれば自分はピノチェトと同様経済的アドバイスを与えるだろう」といっている。チリは経済自由政策で奇跡的と称される経済成長を遂げるが、その後、ピノチェトはシカゴ学派の主張を無視し、経済への国家介入を繰り返し、その結果、失業率、貧困率の悪化、ハイパーインフレを生じさせた。その後シカゴ学派出身の経済官僚はピノチェトから迫害を受け、投獄された。1951年ジョン・ベーツ・クラーク賞、1967年米経済学会会長、1976年にノーベル経済学賞を受賞。1988年にはアメリカ国家科学賞と大統領自由勲章を授与されている。2006年11月16日、心臓疾患のため自宅のあるサンフランシスコで死去。
思想;フリードマンにとっての理想は、規制のない自由主義経済であり、従って詐欺や欺瞞に対する取り締まりを別にすれば、あらゆる市場への規制は排除されるべきと考えた(自由放任主義)。そのため、新左翼勢力は、フリードマンを新自由主義(Neo Liberalism)の代表的存在と位置づけた。「新」が付くのは、自由放任論からの脱却として現れた、国家管理・官僚統制型ニューリベラリズム(New Liberalism)に基づくケインズ経済学を、再び古典的な自由主義の側から批判する理論だからである。フリードマンは国家権力による強制的徴兵制を、現代の奴隷制として激しく批判した。フリードマンの議論は、大きな社会的反響を呼び、アメリカで徴兵制は廃止された。
財政政策批判;政府によって実施される財政政策は、財政支出による一時的な所得の増加と乗数効果によって景気を調整しようとするものであるが、フリードマンによって提唱された恒常所得仮説が正しいとすると、一次的な変動所得が消費の増加に回らないため、ケインジアンの主張する乗数効果は、その有効性が大きく損なわれる。そのため恒常所得仮説は、中央銀行によって実施される金融政策の復権を求めたフリードマンらマネタリストの重要な論拠の一つになった。フリードマンはマネタリズムの主唱者として、完全な自由主義経済を主張し、大恐慌すらもこれまでの通説(市場での失敗)ではなく政府の失策が原因だと主張した。
*マネタリズム;マネタリスト(manetalist)とは、貨幣供給量(マネーサプライ)は物価水準を変化させるだけで実物経済には影響を与えないとする現代版貨幣数量説を唱える経済学の一派およびその主張をする経済学者である。マネタリストの理論および主張の全体をマネタリズム(monetarism)と呼ぶ。裁量的な経済政策の有効性を疑い、固定的な貨幣供給ルールの採用を主張する。主唱者はミルトン・フリードマン。マネタリズムは提案当時ほどの勢いはなく、「今日のマクロ経済学者の中で伝統的なマネタリストを見つける事は難しくなっている」
概要;マネタリズムの提唱する貨幣数量説とはアーヴィング・フィッシャーの貨幣数量方程式の変形版
Mv=PY
M:貨幣供給量、v:貨幣の所得流通速度、P:価格水準、Y:産出物の数量に基づき、貨幣の所得流通速度(v)が一定であるとき産出物の数量(Y)が一定ならば、貨幣の供給量(M)によって価格水準(p)の名目的価値が決定されること。すなわち物価は発行される貨幣の量で決まると主張した。貨幣数量方程式は状態方程式なので本来はそのような因果関係を表わしたものではないが、マネタリストは因果関係を表わす式として解釈し、貨幣供給量を安定的に管理することを最重視する。ケインジアン(ケインズ経済学者)は、価格水準(P)が一定であれば変化するのは産出物の数量(Y)であり、またMとYがそれぞれ独自に変化することがあるのでそのような因果関係を見ることはできないと主張していた。また現実には貨幣の所得流通速度(v)が一定でないこともあり、貨幣供給量とPY(名目GDP)の関係は安定的とは限らない、とした。
マネタリストの主張の骨子は、以下のようにまとめられる。
1. インフレーションは貨幣的現象だということ。
2. マネーサプライは政策的に実行できる。
3. 貨幣増加率とインフレ率は長期的に単純な比例関係にあるとみる。
短期的には貨幣錯覚などにより実物経済にも影響を与えるが、その典型が1930年代の誤った金融引き締めによる大恐慌だという。ミルトン・フリードマンは緻密な実証研究によりこのことを証明し、激しいケインズ主義攻撃を続けた。彼の主張は、1970年代米国のインフレと不況の併存(スタグフレーション)により、フィリップ曲線の崩壊の予言の的中をもって頂点に達した。そして1979年から1982年まで米国連銀は、マクロ経済変数を最終目標とするのではなく、貨幣供給量(=マネーサプライ)を目標とするマネタリズムを採用した。この政策展開におけるアメリカでは、原油価格の変動にともなってスタグフレーションは収まり、景気は回復した。一方で、超高金利・超ドル高の継続、この結果としての中南米途上国のデフォルト(国債償還不能)、さらにこの結果として中南米諸国に融資していたアメリカの銀行の金融危機が生じ世界経済のシステム危機へとつながってしまった。1982年中頃には不況が深刻になり、連銀はマネタリズムを放棄した。一方イギリスでは、サッチャー政権により、1979年からマネタリアリズムが採用され、GNPや雇用に関しての目標は公表されず、貨幣供給量であるM3の目標が表わされるようになった。しかし1979年から1983年にかけて不況が深刻になり、失業率は5.4%から11.8%へ上昇した。最終的に、1986年で貨幣供給量の目標値は公表されなくなった。こうした展開を経た現代のマネタリスト理論においては、銀行信用の重要性に比してマネーサプライだけを論じることに懐疑的な傾向がみられるようになってきている。

Profile

image
院長
神戸市垂水区の佐々木内科医院では「あなたの腎臓を守りたい。地域のホームドクターへ」をモットーに腎臓専門医として地域のみな様の健康を守りたいと考えています。

New Entries

Categories

Archives(227)

Link

Search

Free