哲学的思想についての考察3

ジョン ロックの思想
ジョン ロック(1632年8月29日―1704年10月28日)はイギリスの哲学者で、アメリカ独立宣言、フランス人権宣言に大きな影響を与えた。
概要:彼の著作の大部分は1687年から1693年の間に刊行されているが、明晰と緻密、率直と的確がその特徴とされており、哲学においては、イギリス経験論の父であるだけでなく、政治学、法学においても、自然権論、社会契約の形成に、経済学においても、古典派経済学の形成に多大な影響力を与えた。
哲学:ロックの認識論によれば、われわれの心はいわば白紙(タブラ・ラーサ、羅:tabula rasa)として生得観念(innate ideas)を有していない。観念の起源はあくまでも経験であり、我々の側にあるのはせいぜいそれらを認識し、加工する能力だけである。そして、観念の起源は外的な感覚(sensation)と内的な反省(reflection)とに区分される。さらに、経験から得られたこれ以上分解できない単純観念からは複合観念(様態・実態・関係)が複数の原子の結合から分子が作られるかのように形成され、我々の知識とは経験から得られた諸観念の結合と一致・不一致と背反であるとされた。また、彼は物体の性質は外物に由来する客観的な第一性質(primary quality、,固体・延長性・形状等)と、主観的な第二性質(secondary quality、色味香等)とに区分し(なおこの区別はロックの独創ではなく、既にあったものである)、知られるのは後者のみであるとした。しかし、彼はそれですら完全には知り得ないとした。即ち、我々はあくまで経験的、実験的に外的事物の観念を得る以上、既知の性質はそれによって判明したもののみであって、本来的にどれだけの性質がそのものに属しているかはわからず、全ての性質を遺漏なく知ることはできない。このようにロックは経験主義を唱え、経験論の代表的人物の一人に数えられるが、彼は経験はあくまで観念の供給源でしかないとみなしており、その点では彼の哲学における経験の役割は限定的である。
政治学、法学:彼は、社会契約説によって、ロバート・フィルマーの家父長的な王権神授説を否定し、自然状態を「牧歌的・平和的状態」と捉えて、公権力に対して個人の優位を主張した。自然状態(State of Nature)において、人は全て公平に、生命(Right of Life)、財産(所有-Right of Property)、自由(Right of Liberty)の諸権利を有する。誰もが自由であり、誰もが他の者の権利に関与する権利はない。しかしそうなってしまうと、今度はこの自然状態が故に不都合が生じてしまう。たとえ犯罪が起きようとも、誰もその犯罪者を逮捕、拘束できず、そして裁くこともできない。また、仮にある人間が判事を勤めても、近親者の犯した犯罪の場合、人間がいかに公正に無私に判断を下せるか疑問を呈した。つまり、自然状態の不都合により、社会が混沌としてしまうとロックは考えたのである。そのためにロックは我々自身をこの不都合な自然状態から守るために、政府が必要だと考えた。政府は諸国民の「承認」によって設立されるとした。政府は諸国民のこの三権を守るために存在し、この諸国民との契約によってのみ存在する。我々は我々の保有する各個の自然権を一部放棄することで、政府に社会の秩序を守るための力を与えたのである。言い換えれば、政府に我々の自然状態下における諸権利に対する介入を認めたのである。政府が権力を行使するのは国民の信託(trust)によるものであるとし、もし政府が国民の意向に反して生命、財産や自由を奪うことがあれば抵抗権をもって政府を変更することができると考えた。抵抗権の考え方はのちに*ヴァージニア権利章典に受け継がれていく。その他にも政教分離をと説くなど、現実主義的な考え方を展開している。ロックの権力分立論は、ハリントンの提唱した権力分立制を発展させたものであるが、社会契約論とも密接に結びついている。国家は「始原的契約」(original compact)によって成立したものであるが、政府は、自然権を保障するため、人民の信託に基づき設立されたものであるから、社会契約には一定の「契約の条件」があり、自然権を保障するための手段として権力分立を採用しなければならないとしたのである。ロックは、立法権と行政権の分離を説き、対内的な行政権を執行権、対外的な行政権を外交権(連合権)と呼んだが、ロックの権力分立論は各権が平等ではなく、立法権を有する国会が最高権を有するものとされ、名誉革命に基ずく現実的な立憲君主制を擁護するための理論であった。これがのちのモンテスキューによる三権分立論(司法権・立法権・行政権)にまで発展する。
*ヴァージニア権利章典
バージニア権利の章典(Virginia Bill of Rights)は、1776年に起草された影響力ある文書であり、人間に本来備わっている自然権を宣言したものである。「バージニア権利宣言(Virginia Declaration of Rights)」とも呼ばれる。ジョージ・メイソンがバージニア権利章典の主要な著者であった。この章典は1776年6月12日のバージニア会議で全会一致で採択されたものであり、今日でも法的に有効である。この章典は後の多くの文書に影響を与えた。例えば、1776年のアメリカ独立宣言、1789年のアメリカ権利章典、および1789年のフランス革命における人間と市民の権利の宣言があげられる。この章典は北アメリカ市民にとって初めて近代憲法で個々の権利を保護したものと考えられる。この章典は16か条から構成されている。生命、自由および財産の自然権について固有の性質を確認することに加え、人民の僕としての政府という考え方について述べ、また政府の権限に関して様々な制限を列挙している。
以下はバージニア権利章典の全文である。
第1条 全ての人は生まれながらにして等しく自由で独立しており、ある先天的な権利を持っている。それらの権利は、人々が社会のある状態に加わったときに、いかなる盟約によっても、人々の子孫に与えないでおいたり、彼らから奪うことはできない。すなわち、財産を獲得して保有し、幸福と安全を追求し獲得する手段と共に生命と自由を享受する権利である。
第2条 あらゆる権力は人民に与えられそれ故に人民から得られる。行政官は人民の被信託者であり僕であって、常に人民に従うものである。
第3条 政府は人民、国家あるいは社会の共通の利益、保護および安全のために制度化されるものであり、あるいはされるべきである。様々な様式や形態の政府の中でも、最大限の幸福と安全を生みだすことができ、悪政の危険に対して最も効果的に防御されているのが最善である。いかなる政府もこれらの目的について不適切であるとか反していると認められたときには、公共の福祉に最も資すると判断される方法で、政府を改革し、置き換え、あるいは廃止する疑いもなく、不可分で剥奪できない権利を社会の多数派が持っている。
第4条 いかなる人も、あるいは人の集団も、公的な勤めと考えられるものを除いて、社会から排他的あるいは別の報酬あるいは特権を付与されることはない。その公的な勤めは子孫に伝えられるものではなく、行政官、議員あるいは判事の職は世襲されてはならない。
第5条 国家の立法権と行政権は司法権から分離され区別されるべきである。立法部と行政部の構成員は人民の負担を感じ取りそれに参加することで抑圧から抑えられるかもしれないので、一定期間私的な位置付に下げ、元々所属していた団体に戻すべきであり、その空席は、繰り返され、一定で規則的な選挙で補充されるべきである。この選挙で前の構成員の全部あるいは一部が再び選出されるかあるいは不適とされるかは、法律によって示されるべきである。
第6条 議会で人民の代表として使える議員の選挙は自由であるべきである。社会に対して恒久的で共通の利害を持ち、さらにそれに執着するという十分な証拠を持っている人全ては選挙権を有し、彼ら自身の同意あるいは選ばれた議員の同意無しに、公共の用途のために課税しあるいはその財産を奪われることがあってはならない。また同様な考え方で公共の利益のために同意しないいかなる法律によっても束縛されるべきではない。
第7条 人民の代表の同意無しに権威者によって法を停止したり、あるいは執行したりするあらゆる権限は人民の権利に対して有害であり実行されるべきではない。
第8条 あらゆる死刑に値するあるいは形事上の告発において、人は告発者や証人に対してその告訴の原因や性質を請求する権利がある。自分に有利な証拠を要求し、近隣の公平な陪審員による迅速な裁判を受け、その陪審員の全員一致の同意無くして有罪とは認められず、自分に不利な証拠を提供することを強制されない権利がある。いかなる人もその土地の法あるいは同輩の判断による以外でその自由を奪われることはない。
第9条 過大な保釈金は要求されるべきでなく、または過大な科料を科されるべきではない。残酷で異常な罰は科されるべきではない。
第10条 一般逮捕状はそれによっていかなる役人もあるいは伝達人も、それが行われたという事実の証拠無くして容疑有る場所を捜索し、あるいはその犯罪が特に証明されず証拠によって支持されていない有名人または無名の人々を逮捕するよう指示されるかもしれないが、これは悲痛であり抑圧的なので認められるべきではない。
第11条 財産に関する論争および人と人の訴訟においては、陪審員による古来からある裁判が如何なる者にものぞましく、神聖なものとされるべきである。
第12条 言論出版の自由は自由の最大の防波堤であり、専制的な政府による場合以外では制限することはできない。
第13条 武器の訓練を受けた人民の集団からなる規律正しい民兵は、自由な国家の適度で、当然な守りである。平時における常備軍は自由に対して危険なものとして避けるべきである。あらゆる場合に民兵は文民の権力に厳格に従い支配されるべきである。
第14条 人民は統一した政府を持つ権利を有する。それ故にバージニア政府からわかれたあるいは独立したいかなる政府もその領域内に樹立されてはならない。
第15条 自由な政府あるいは自由の恩恵は、しっかりとした公正さ、中庸、質素および美徳への執着によって、および基本原理への繰り返し回帰によって以外、護り得ない。
第16条 宗教、あるいは創造主に対する礼拝とその方法は武力や暴力によってではなく、理性や確信によって指示を与えられるものである。それゆえに全ての人は等しく良心の命じるままに従い、信教の自由をおびる権利を有する。他の者との間にキリスト教的自制、愛情および慈善を実行することは、あらゆる者の相互の義務である。
ジョージ・メイソン氏によって起草されバージニア会議で1776年6月12日に採択された。

内容:第1条は「すべて人は生来ひとしく自由かつ独立しており、一定の生来の奪うことのできない権利を有する。すなわち、財産を所有し、幸福と安寧とを追求獲得する手段を伴って、生命と自由とを享受する」権利を有しており、これは後にアメリカ独立宣言の第1節に取り入れられて国際的に有名となった。アメリカ独立宣言は「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信じる。」としている。
第2条と第3条は革命の概念を記しており、「すべて権力は人民に存し、したがって人民に由来するものである。」とし、「いかなる政府でも、それがこれらの目的に反するか、あるいは不十分であることがみとめられた場合には、社会の多数のものは、その政府を改良し、変改し、あるいは廃止する権利を有する。この権利は疑う余地のない、人に譲ることのできない、または棄てることのできないものである。ただし、この権利の行使方法は公共の福祉に最もよく貢献し得ると判断されるものでなくてはならない。」とした。この後半はバージニアの人民がイギリス帝国に対して革命を起こすことのできる権利を有効に主張した。
第4条は全ての市民の平等を主張し、特権的政治階級や世襲的役職という考え方を拒否し、イギリスの貴族院や貴族の特権のような制度を批判している。「いかなる個人、または個人の集団も、公職の報酬としての他に、社会から独占的ないし別個に報酬、あるいは特権をうける権利はない。またそのような公職は相続され得るものではなく、行政官、立法部議員、判事の職は世襲的であってはならない。」
第5条と第6条は権力の分離の原則と、行政官と立法部の議員の「一定にして正規で」自由な選挙を「しばしば行うこと」を薦めている。「国家の立法権および行政権は、司法権から分離かつ区別されなければならない。2つの部の構成員は、一定にして正規な選挙をしばしば行うことで一定の期間、私人としての地位に復帰せしめ、選出団体に戻さなければならない。」
第7条から第16条では、政府の権限を制限することを提案し、「人民の代表の同意なくして」政府は法律を停止したり執行したりする権限を持つべきではないと宣言している。「訴追者および証人と対面し、自己に有利な証拠を要求し、また近隣の公平なる陪審員による迅速なる公判を受け」る法的な権利を確立し、また「何人も自己に不利な証拠の提出を強要される」ことを妨げている。また「残虐で異常な刑罰」および根拠のない捜索や逮捕に対して保護し、陪審員による裁判、言論出版の自由、信教の自由(すべて人は自由に宗教を信仰する平等の権利を有する)を補償し、武器の訓練を受けた人民の団体よりなる規則正しい民兵にに依存する「自由な国家の適当にして安全なる護り」があり、平時における常備軍は自由にとり危険なものとして避けなければならないとした。

影響:この権利の章典は後の文書に大きな影響を与えた。トーマス・ジェファーソンは1か月後(1776年7月)のアメリカ独立宣言を起草するときにこれから引用したと考えられている。ジェームズ・マディスンもアメリカ権利の章典(1787年9月に完成、1789年承認)を起草するときに影響を受けており、同様にラファイエットはフランス革命の人間と市民の権利の宣言を作成する時に影響された。バージニア権利章典の重要性は議会の構成員を護るよりも個々人の権利を初めて成文法で護ったことであり、成立のときと同様に容易に変更できる単一の法ではなかったことである。

権利章典から派生した他の人権宣言の章句
アメリカ独立宣言:われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求が含まれることを信じる。また、これらの権利を確保するために人類のあいだに政府が組織されたこと、そしてその正当な権力は被治者の同意に由来するものであることを信じる。

人間と市民の権利の宣言(フランス革命):人は、自由かつ権利において平等なものとして出生し、かつ生存する。社会的差別は、共同の利益の上にのみ設けることができる。

Wikipediaより抜粋・・・一部改変

哲学思想についての考察2

アリストテレスの思想
プラトンの弟子、ソクラテス、プラトンと共に、しばしば「西洋」最大の哲学者の住人とみなされる。またその多岐にわたる自然科学の業績から「万学の祖」とも呼ばれる。名前の由来は古典ギリシャ語の“aristos”(最高の)と“telos”(目的)から。イスラム哲学や中世スコラ学に多大の影響を与えた。またアレクサンドロス大王の家庭教師であったことでも知られる。
アリストテレスは紀元前384年、マケドニア王の侍医の息子としてマケドニアのスタゲイラに生まれた。17歳のとき、アテナイにあるプラトンの主催する学園アカデメイアに入門し、そこで20年間学生として学び、その後アカデメイアの教師として後進の指導にあたった。紀元前335年、自らの学園リュケイオンを開いた。弟子たちと学園の歩廊(ペリパドス)を逍遥しながら議論を交わしたため、彼の学派は逍遥学派(ペリパドス学派)と呼ばれた。
倫理学;アリストテレスによると、人間の営為にはすべて目的があり、それらの目的の最上位には、それ自身が目的である「最高善」があるとした。人間にとって最高善とは幸福、それも卓越性(アレテー)における活動のもたらす満足のことである。幸福とは快楽を得ることだけではなく、政治を実践し、または人間の霊魂の固有の形相である理性を発展させることが人間の幸福であると説いた(幸福主義)。
また理性的に生きるためには、中庸を守ることが重要であるとも説いた。中庸にあたるのは、恐怖と平然に関しては勇敢、快楽と苦痛に関しては節制、財貨に関しては寛厚と豪華(豪気)、名誉に関しては矜持、怒りに関しては温和、交際に関しては親愛と真実と機知。徳においては醜い行為そのものが許されないとした。
また各々にふさわしい分け前を与える配分的正義(幾何学的比例)と、損なわれた均衡を回復するための裁判官的な矯正的正義(算術的比例)、これに加えて(等価)交換的正義とを区別した。
アリストテレスの倫理学はダンテ・アリギエーリにも大きな影響を与えた。ダンテは『帝政論』において『ニコマノス倫理学』を引いており、『神曲』地獄篇における地獄の階層構造も、この『倫理学』の分類に拠っている。
政治学;アリストテレスは『政治学』を著わしたが、政治学を倫理学の延長戦上に考えた。彼は「人間は政治的動物である」と定義する。自足して共同の必要のないものは神であり、共同できないものは野獣である。これらと異なって人間はあくまで社会的存在である。国家のあり方は王制、貴族制、ポリティア、その逸脱としての僭主制、寡頭制、民主制に区分される。王制は父と息子、貴族制は夫と妻、ポリティアは兄と弟の関係にその原型をもつといわれる(ニコマノス倫理学)。アリストテレス自身はひと目で見渡せる小規模のポリスを理想としたが、時代はすでにアレクサンドロス大王が登場しポリスを超えた世界国家の形成へと向かっていた。
論理学;アリストテレスの師プラトンは、対話によって真実を追求していく弁証論を哲学の唯一の方法論としたが、アリストテレスは経験的事象を元に演繹的に真実を導き出す分析論を重視した。このような手法は論理学として、三段論法などの形で体系化された。
原因について;アリストテレスは、世界に生起する現象には「質料因」と「形相因」があるとして、これを分け、後者をさらに「動力因(作用因)」、「形相因」、「目的因」の3つにわけ、都合4つの原因(aitia)があるとした(四原因説)(『形而上学』Α巻『自然学』第2巻第3章等)。物事が何でできているかが「質料(hyle)因」、そのものの実体であり本質であるのが「形相(eidos)因」、運動や変化を引き起こす始原(arche)は「動力因(kneseos)因」、そしてそれが目指している終局(telos)が「目的(hou heneka)因」である。存在者を動態的に見た時、潜在的には可能であるものが可能態であり、それとすでに生成した現実態とを区別した。すべてのものが可能態から現実態への生成のうちにあり、質料をもたない純粋形相として最高の現実性を備えたものは「神」(不動の動者)と呼ばれる。・・・Wikipediaより抜粋、一部改変。

Profile

image
院長
神戸市垂水区の佐々木内科医院では「あなたの腎臓を守りたい。地域のホームドクターへ」をモットーに腎臓専門医として地域のみな様の健康を守りたいと考えています。

New Entries

Categories

Archives(227)

Link

Search

Free